公開初日、家族みんなで乗り込んだ。
個人的にはもう本当、大大大満足すぎたので、アラサー限界脳ハピエン厨の朧げな記憶ながら感想書きます。
ここから先は、ネタバレモロ含むので、鑑賞し終えた方とぜひ、共有できたらと思います。
トイ・ストーリー5
今作の主人公はジェシー。タブレット型おもちゃ・リリーパッドの登場で、おもちゃたちの存在意義が揺らぐ話。
ウッディの立ち位置
なんとなく、かつてはすごかったOB感で笑ってしまった。登場比率もそんな感じ。とにかく今作はジェシーが主役だし、それがとても良かった様に思う。
もともとトイ・ストーリー、私自身はウッディとバズのコンビ愛、絆を推しすぎていて、4の終わり方も、寂しくて寂しくてしばらくは引きずったりもしていた。
けれど、今作のおかげで、それすらも昇華されたような。
や、ね、受け入れていたし、これもこれか。それぞれの人生だもの。これはこれよ。むしろこれが綺麗なのか。ヴォーも大好きだし。と思っていたのだが、なんかねぇ。いや、ほんとあれでよかったんだな。と。
元気に過ごしているようでとても嬉しい気持ちになった。(何目線)
あと、なんか、ウッディって、ちょっと対応が古臭い、、けど、他の人はすぐに思い付かないよね、こういうの、考えて言い出してくれるのはいつもウッディだね!解決になるかはわからないけど1歩かも?みたいな時あるじゃない?
あれが顕在すぎて笑った。デバイスの電源を抜いておくとか、まさにじゃ?あれよかったなぁ。あれ言い出すのがウッディなの、よかったなぁ。ウッディをまた観れた感じがして良かった。
まあでも今作いちばんは、ハゲとメタボとポンチョかもしれない。OBへの解像度が高すぎた。
ウッディとヴォーの夫婦感があたたかすぎる
そのポンチョだけど、みんながスンとなると、「ヴォーはいいと言っている。(からいいんだ)」って言ってる後ろで首ガン振りのヴォー最高すぎた。めちゃめちゃリアルな夫婦感。物差しがヴォーになっているのも、子育て卒業した親感ある。
エンディングでヴォーにハゲを茶色に塗ってもらってるところもたまらなかったな。涙が出た。たまらなくて。
何がたまらないんだろ。パートナーの温かさかな。たまらないな。
ヴォー、本当いい女だよね。1の時はこんなにいい女だなんて、全く知らなかった。
バズのおとぼけ感
バズのいつものおとぼけボケナスなのに一番いいとこできっかり合流する感じも完璧だったな。それも今回はとうとう、多数のバズが。
多数のバズがちょくちょく挟まれてて、団体でずっと突き進んでくるんだけど、まじ虫みたいで笑えてきた。しかも最後飛ぶし。笑
でもねえ、Wi-Fi接続されちゃうとかも、びっくりすぎた。
1話で飛べなかったバズ。5話で飛ばせてくれるなんて。まさかとうとう、飛ぶなんて。あの飛べなかったバズが、飛ぶ。これもなかなか来た。感慨深い。飛べそうなのに、飛べないのがかつてのバズだった。
30年の月日(作中内では13〜14年ほどではあるが)がバズを飛ばすのだ。
ウッディ×バズの掛け合い
これが観れただけでも、感無量。元祖はこれ。トイストーリーといえばこれだった。この2人が、小気味良く調子づいてたり、揉めてたり、競い合っていたりするのがたまらんかった。
立会人にウッディは最後なれなかったけれど、バズからお願いしているシーンがあるだけで嬉しかった。
バズのムキになりかた、良かったなぁ。バズをなんだかんだうまく言いくるめるウッディも。
ジェシー大好きになった
ジェシー、私は実は、そこっまで思い入れのあるキャラクターではなかった。なので、娘がジェシーのぬいぐるみを欲しかった時、意外に思ったほどだった。
今はもう大好き。
When She Loved Meもだいすき。これ聞くだけで泣いちゃう。
保安官任命されてから頑張っていたことがものすごく伝わってきた。し、デバイスを疎みながらも、最後は古いOSにもかかわらずスイスイっと使いこなしちゃうのが、よかったな〜とても。
相変わらず短気なところも変わってなくて安心感すらあった。
ジェシカっていうん?
リリー・パッドがそう呼んで、周りがザワザワしてるくだり、おもろすぎた。地雷なん?笑
リリー・パッドの動きは予想通り
まあでも、そう。リリーパッドといえばさ。最初は脅威で始まって、最後味方になるのは、まあ、お約束だった。
結論、ボニーを大事に思う気持ちがあったからよかった。
他人の思いが介入するおもちゃだからこその難しさがある。
序盤、ボニーのリリー・パッドを初めて目にする顔から没頭する顔まで、リアルすぎて怖い。デバイスを触る時、人は確かにこんな顔になる。
ジェシー×エミリー無理すぎる
もう、ここ〜〜〜〜〜!
号泣必須。アンディとの別れレベルの泣きが来た。2で触れられた悲しい別れが、ここでまさか救われるとは。
こんなに綺麗な回収はないのではないか。
確かにおもちゃは、いずれ遊ばなくなる。けれど、その記憶は、大事な部分を確実に形成してくれていて、心の大事なところに残っていて、それが紡がれている。
“おもちゃなんてもう必要ないんだ”と、かつてのボニーに思わせたエミリーが、現在まさに同じ壁にぶつかるボニーへ、過去の救いと共にアンサーしてくれたのが、本当に本当にきれいだ。
あの頃の幸せな思い出である、ジェシーの足に書いた住所。その思い出が導いたあの場所が舞台になっているからこその奇跡。構成うますぎんか???
最初何が起きたかと思った。名前をつけているなんて。何度思い出しても泣いてしまう。
優しさは紡がれる。ものよりも、お金よりも、優しさや思いやり、あたたかな記憶、与えられたそれらは、きっときっと、次に紡がれる。ずっとずっと生き続ける。その尊さに、身震いする。
人生を感じた
あの時のこれが今繋がったか!という経験、歳を重ねるほど出会うと聞く。かれこれ私も32年目の人生となるが、確かにそういう瞬間がある。
30年ごしのシリーズ5作目となると、なんだかそういった点と点が線で繋がっていく伏線回収の美しさを感じた。
先ほどのジェシーの過去へのアンサーはまさにその一つであるし、ウディバズの掛け合いもそうであるけれど、(あとはバズ飛ぶー!とか)そういう、ここのあの部分がここで!という、オマージュや伏線回収に歴史を実感したというか。
朧げすぎて多くの例が出せないのがもどかしい。
とにかく、そういう歴史の重さは確かにあったような気がする。
デバイスは悪か?
周りの子供達、そしてボニーがデバイスに没頭すること自体をとても悪いことであるように描かれる。
私自身、ああ、いやだなぁ。と観ていて思った。
しかし、後半からクライマックスにかけてはデバイスの便利で革新的な部分がポジディブに描かれた。
デバイス、現在に当てはめると特に影響が大きいものだとAIだろうか。それらはもう、生まれてしまった。
歴史は逆行することはないし、この恐ろしさを秘めた大変便利な物は、わたしたちの人生にスタメン入りしている。
どう付き合っていくべきか。デバイスを与えられてから没頭するまでのボニーの目は、暗く澱んでいた。確かにデバイスを触るわたしたちは、あんな目をしている。
これを否定してしまうことは、私たちの今後の人生を否定してしまうことになるように思う。
この問いを、私たちは考えていかなければいけない。これに明確な答えを出さなかったのが、ディズニーの答えであるように思えた。
デバイスを与えるのはいつがいいんだろう。
ちなみに私は、中学卒業時にケータイを買ってもらった。中学生当時は、mixi全盛期。周りの友達はその話をしていたし、22:00に待ち合わせね〜などと話すところに入っていけないことは、確実に当時の私にとって枷であった。
子供達に、そんな想いをさせたいとは思えないし、だからこそボニーにデバイスを与えてあげようか、と話す両親の心はよくわかる。
現代ではデバイスに触らないことの方がよっぽどリスクであるとも思う。
しかし、やはり家族の時間や、おもちゃで遊ぶ創造性を手放してほしくない。
もう本当に難しい!!!!!
トイ・ストーリーという偉大なるシリーズ作
本当にトイ・ストーリー5、私の中では完璧だった。
4でウッディは卒業してしまったし、5で何を描くのだろう。と思っていたが、VSデバイス、現代のおもちゃのあり方、何ができるか。
対面だからこそできること。最近だと周りではボードゲームとか流行っているのも、ある種ジェシーの言っていた、「わたしたちにしかできないこと」なのかもしれない。
トイ・ストーリーというシリーズ、自分が親になってから、全く見る角度が変わった。こちらも記事にしているのでもしよければぜひ。


