親になる前は、おもちゃ達が面白おかしく動く、笑いも感動も与えてくれるような、そんな印象であった。
しかし、親になると全く見え方が変わった。
おもちゃ達が親の気持ちとリンクするように感じるのだ。むしろ親の心を代弁しているようにすら感じる。
しかも、おもちゃ達の大きな大きな愛は、おもちゃであるが故に、子供には全く伝わらない。
まさしく親からの愛。まさしく親の心子知らず。(とはいえ、子から親への愛こそが無償の愛では、とも思う。)
この記事では、そう思った理由を書いてみたいと思う。
(とはいえ、うろ覚えです)
ネタバレ全然書いてあるので、全編見てる方はぜひ。観てない方は、まずは本編を観てください!
トイ・ストーリー1
アンディにとって一番大好きなおもちゃウッディが、バズという新しいおもちゃの登場でこれまでの立ち位置が下がってしまうことに焦る。寂しい。
この寂しさが、子にとって親は一番大きくて、大好きな存在であったけれど、幼稚園や保育園が始まり、友達ができて、世界が広がる、親だけではなくなる。
そんな寂しさともろかぶる。
けれどそれは、子供にとっては楽しくて、大切なことであることは知っているし、子供が幸せであることが本当に一番うれしい。
この、心の葛藤と移り変わり。相手を想っているから故の、そして想っているからこその、心の動き。
ウディバズの絆もたまらない。
トイ・ストーリー2
そのうちおもちゃとしての役割は終わる。
これがでかい命題としてあって、だから自分がずっと必要とされる場所に行ける選択があると、迷う。それでも一緒にいられる間はアンディと一緒にいたい、という葛藤。
この、いつかはその役割が終わることがわかっている猛烈な寂しさ、怖さ。その葛藤が、あまりにも親になった自分の心と重なる。
というか、ジェシーの過去がまさにである。エミリーとの温かな記憶、そして離れていく、お別れの時間。
ここで流れる曲も、たまらない。When She Loved Me、、、
いつか必ず、母親は卒業しなければならない。この事実にグサグサ刺される。いつかくるその時を想像して、泣く。
トイ・ストーリー3
名作。
アンディは成長して、自立する。おもちゃを必要としない。それでもなんとか縋りつこうとするけれど、最後には新たな未来(子供)へと繋げていく。
アンディがボニーへおもちゃを渡し、最後の遊びをするシーンがもう、号泣必須なわけだが、ウッディを渡す直前に躊躇するアンディがもうたまらんくて。躊躇するけど渡すアンディがたまらんくて!!!
子供達が自立するところを想像してしまうわけである。
もうなんでもひとりでできちゃって、子供達自身の世界が確立されているところなんかを想像してしまう。
いつかくる終わりをこれ以上なく感動的に演出してくれたのがトイ・ストーリー3だと思う。
今、書きながら泣いてる。
トイ・ストーリー4
もう一線にいないウッディが、それでも存在価値を見出すべく尽くす姿に心が締め付けられる。
現役時代頑張ってきたからこその虚無感みたいなものがある気がする。
そして、子育て(笑)に全力投球してきたが故のある意味での視野の狭まりや、アンディが優先事項1位だったが故の自分自身の優先度の低さ。
そんなものからの脱却。そんな印象。
その殻を破るのに登場してくれるのが、いつのまにやらいなくなったかつての恋人ヴォーなのも、オシャレすぎる。
恋人って、ある種自分自身を取り戻すのに一番最適なような。気が。する。(気がする)
もう、ほんと、子離れ。親からの卒業。それにしか見えない。
トイ・ストーリー5
そして今作。トイ・ストーリー5。完全にOBでした。笑笑笑そうだよね。ある意味ウッディは、4で子育ては終えたのだから。
だから、今作の主役はバトンタッチしたジェシーが、代わりに私の気持ちを代弁してくれた。
終わりは、いつくるかわからないけれど、その時まで、わたしたちにできることを。
号泣。
そうなのだ。私たち親が、子供にとって必要なくなるのは、自分が思うよりもずっとずっと早く、きっとじわじわ、気づいたらぷつり、と。
だけど、それでも、それまでは、私たちにできることを、私たちを必要としてくれる限り、全力で応えてあげたい。なんでもしよう。お馬さんでも。トランポリンでも。お店屋さんごっこでも。
トイ・ストーリー5の感想は、こちらで別で書いてます。よろしければぜひ!

トイ・ストーリーはまじで名作。
ほんとに、親になって、改めて思う。
トイ・ストーリーまじですごすぎる。
1が30年前であることに衝撃であるし、一緒に歳を重ねて、5を観れたことを本当に嬉しく思う。
もうすでに娘はトイ・ストーリー大好きだが、(今年のお誕生日はジェシーのぬいぐるみ)どんどん見せていきたいな、と思う。


